愚かさと愛しさと。
今日は、久しぶりに今年の3月を映像で振り返る機会があった。
団体の代表をさせてもらった去年1年間と、その振り返り期間だったこの半年は、間違いなくわたしの中で大きな転換期だった。
自分が思っていた以上に、ひとつの成果として数字が表れた3月。
自分が思っていた以上に、周りのみんなにたくさんのものをもらった3月。
ねぇびっくりしたよね、あの時の自分。
だってあの時のわたしは、本当に今よりももっと自分のことしか考えてなかった。
いつだって、自分が必要とされていたくて、リーダーを好んでやっていた。
いつだって失敗して軽蔑されるのが怖くて、わたしは自分で最終判断ができなかった。
いつだっていつだっていつだって、わたしは他の人からの目を評価を常に気にしていた。
そりゃ失敗だってそうそうしないよ。
だって最初から失敗するリスクが高いことに挑戦なんてしてこなかった。
わたしのやりたいことはいつだって、やってみたらできそうで且つ評価されたい人からも評価してもらえそうなことだった。自分の本当にやりたいことなんてわからなかった。それが他の人から求められていないなら私の中では何の意味もなかった。だから、“他人がなんて言おうと自分は自分が正しいと思うことをする”スタンスで物事を進めていけるひとが、羨ましくて仕方がなかった。
今だって、ミーティングで話した後はいつも脳内で色んな想いが巡る。
大事な後輩たちの邪魔をしてしまっていないかと、いつも心配になる。
偉そうに「やりたいことやったらいいよ~」なんて言ってるけど、自分が(他の人になんて言われようとも)やりたいことなんて正直リーダーやってた1年間でもさっぱりわからなかった。目の前のことに必死だった。
別に、やりたいことがなかったらリーダーとして、団体の一員として、ダメだなんて思わない。それがなくたってわたしは、本当に多くのことを学ばせてもらったし、たくさんの幸せをもらった。
でもわたしはとてもバカなので、この半年の振り返り期間の中で気づけたことを、去年気付けていたらよかったのになと思ってしまう。でも、去年があったからこそ、この半年の中で気づけたこともたくさんあるんだろうなとも思う。
去年一年間で、「こうすればよかった」「こうしなければよかった」と思うことなんか、今思い出せる限りでも山ほどある。後悔だってたくさんある。わたしは決していいリーダーなんかじゃなかった。でも多分、一緒にいてくれたみんなに、つらくて苦しい思いだけをさせてしまっていた訳じゃないとは思ってる。きっと一緒に、楽しんだり幸せな気持ちになれたことだってあるはずだ。
半年の長い期間をかけて、去年の走りまくってた自分と向き合えたのは本当によかった。自分の奥深くに入れて心の底の想いを知れてよかった。それができたことにもたくさんのきっかけがあったのだけど、それはまた別の機会に。
とにかくわたしは、ハッピーに関わっている人たちにとって、ハッピーが少しでも意味のあるものになればいいと心から願っているし、何か少しでも、自分の人生の中で大切にしたいことと出会えるきっかけになれば、こんなに嬉しいことはないと思ってる。だから、ハッピーを社会にとっても意味のあるものにしたいなと、最近は思ったりする。
ハッピーのみんなが愛しいよ。みんなの話たくさん聞きたいなぁ。