また会いにくるね。

 

「またくるね、じいちゃん」
この言葉を言うのは何度目だろうか。
その度にじいちゃんが涙を流すようになったのは、いつからだろうか。


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父方のおじいちゃんが体調を崩して手術と入院を繰り返している。
じいちゃんはすごく元気で、教師を定年まで続けたあと、朝から晩まで畑仕事と花の世話と孫の世話をして過ごしている人だった

そんな誰よりも元気だったじいちゃんが、今は何をするにも誰かの手を借りなければならなくなっている。


いちばん最初に自由に動けなくなったじいちゃんを見たのは、大学三回生の夏休みだった。そのときは身体は動かしにくかったけど喋るのはいままで通りだった。


でも、社会人になってからすぐ、もうひょっとしたら危ないかもというところまできて、妹から会える時に来た方がいいかもとラインが入った。


今は少し大きな手術をして、以前よりは元気というか、食事も口からとれるようになった。

病院に会いに行って、じいちゃんの手を握って、字を書く練習をして、ごはんを食べて、またくるねと言って、大阪に戻る。

病室の空気は、とても独特だ。
いつもなんとも言えない気持ちになる。


地元ではなく、大阪ではたらくと選択したのは紛れもなくわたしで、自分の意思で決めたこと。

でも、母の話を聞いたりすると、今わたしの家族が直面している問題に、わたしだけが直接的に関われていないのではと、いつも喉の奥がギュッとなる。
「こんな時に楓もおったらなぁっておもうんよ。でも大阪でがんばってるもんね」と、ほんとはわたしにも三重にいてほしいけどがんばる娘を応援したい母が昨日ぽろっとこぼした言葉に、申し訳なさと有り難さといろんな気持ちでぐちゃぐちゃになった。


わたしは今、自分が元気に生きていくことで正直精一杯で、自分のしんどさを、なんとかかんとか噛み砕いて生きていくことに必死になっている。


余談
じいちゃんがいちばん危なかった時に、いちばん好きだった人とお別れした。当時はもう自分でもどうやって生きていたのかわからない。でも、わたしの力じゃなくて、周りの人に生かされていたという感覚は強く残ってる。もちろんそれはその時だけじゃなくて今も昔もこれからもなんだけど。


わたしはずっと、その人といるからみんなわたしにも優しくしてくれていると心のどこかでずっと思っていて、でもわたしがひとりになっても、みんな変わらず優しくわたしのことを大切にしてくれている。そのことが本当に肌にしみていて、本当に本当に、周りの環境には感謝しかない。


そんな話をしたら、「あなたのその、他人に愛されるということのコンプレックスみたいなものは、どこからきてるんだろうね」と言われたことがある。
それを考えてみると、わたしはやっぱり家族に戻る。
わたしは家族に愛されていると自覚しているし、実際にもそうだと思う。
でも、わたしよりも、妹の方が可愛がられているんじゃないかとも、思っている。
わたし(素直)と妹(素直じゃない)が同じことをしたら、親の喜び度というか、なんか感覚が違う気がする。わたしよりも、妹がすることに対しての方が、親が喜んでいる感じがする。これも思い込みなのかもしれないけれど。

だからわたしは、愛されるという感覚に対してはもしかしたらそんなに不自由じゃないかもしれないけれど、「わたしというひとりの人間が愛される」とか、「誰よりも愛される」ということに関しては、とっても敏感なのかもしれないと感じている。
だから定期的に愛を伝えてもらわないと不安になってしまう。前は(いちばん)わたしのこと好きだったかもしれないけど、じゃあ今は?となってしまう。どちゃくそめんどくさいげきおも女やんけ…と書きながら自分に引いてる。

余談ここまで


かといってわたしが今自分のことで精一杯で情けないとくるしくなるのは、それこそ自分勝手なことなのではないかと思う。

自分で決めたと思っていた道も、実は周りの環境があったから決めることができた道なんだなとひしひしと感じる。


覚悟を持つこと、腹をくくること。
それが強くなるということ。


スーーーーーーー、ハーーーーーーーと深呼吸をして。


また会いにいくよ、じいちゃん。