ヘルプを出す、ということ。



わたしには、

 

「あ、ここから一歩でも落ちたら、なんかちょっとやばいかも」

 

というラインが自分の中にあって、どれだけ悲しみの渦の中にいてもどれだけどれだけしんどくても、そこだけは踏み越すことはなかった。

 

それはどうしてかというと、年に1度か2年に1度くらいあるその踏み越しそうサインに、わたしは無意識的に気が付いていて、次に気が付いたときには誰かにヘルプを出している、たすけてくださいと、だれかに、手を伸ばしている。

 

そういう時不思議とタイミングが合って、わたしがヘルプを出した誰かはすぐにわたしを助けてくれる。これは本当に不思議なことで、人は合うべきタイミングで誰かと会うものなのだと思い知らさせる。

 

そうやって何度も何度も色んな人たちに助けられてきたから、今わたしはここに存在しているのだと思う。

自分の中のやばいラインを越えずに、なんとかブレーキをかけてもらって生きてきている。

 

自分がどうしようもない時、他の誰かにヘルプを出せるということはもしかしたらとても重要なことなのかもしれない。

そしてわたしはきっとこれからもそうやって生きていくのだと思う。

 

つらいことはつらいのままでおいていてよくて、わたしは自分のやれることはちゃんとやっていて、それでもどうしようもない感情はあって、だから、時間をかけていくしかないんだな、と思えた。これは自分だけじゃ確信が持てなかったことで、ヘルプを出して、助けてくれたから思えたこと。「あなたは自分の無意識がちゃんと見える人だから、」と言ってくれたのも、もしかしたらこのことだったのかもしれないな、なんて思う休日。