涙が流れるのはどうしてか

 

 

ひとりで泣くのは苦手だ。

世界中で自分がひとりぼっちのような気がしてくるし、ひとりで涙を止めることがわたしにとってとても難しいからだ。

 

でも、どんどん自尊感情が育ってきて、誰かの前で泣くこともいつからか苦手になってしまった。

何度か泣いてしまったことはあるけれど、後に残るのは自己嫌悪がほとんどで、後味がよくない。

 

 

「泣いたらすっきりする」と言うけれど、わたしは“涙を流す”という行為のみで気分が晴れる経験をしたことがきっとほとんどない。

 

 

どうやらわたしは、心のうちにあるモヤモヤしたものを言語化しないと、負の思考回路からは抜け出せないらしい。ひとつひとつ名前をつけていくみたいに言語化して、すこし前向きになってきたところで小さな行動を重ねて、正のスパイラルで物事を考えられるようになる。

 

だからわたしの場合、そのモヤモヤが自分の限界値を超えて溢れだしてしまった時、緊急信号として涙が出てくるのだとおもう。

 

心の余裕がある時は、少しもやっとしたらその度に無意識的に言語化して昇華してきたけど、余裕がない時は、言語化するエネルギーも生活エネルギー(たべるねるといれおふろ)に無意識のうちに移してしまうから、モヤモヤは溜まっていく一方。

 

だから、涙が流れることで「あ、なんかわたしやばいんだ」って客観視して、それまで溜まっていたモヤモヤを言語化するのに手をつけられたりする。そうやって、涙が流れることに助けられてる時もある。

 

今まさにモヤモヤの言語化中で、今回は特に骨が折れるから、めっちゃ長い時間かけてゆっくりやってるけど、それでもめちゃめちゃにしんどい。

 

 

だからインターバルとして、そもそもわたしの涙流れるプロセスと不安解消プロセスを言語化してみましたとさ。