色々あったけど、今年もいい年だったねって言いたいから。

 

今日は2019年12月27日。
まだ仕事はおさまってないけど、もうすぐ2019年も終わる。

 

今年1年はどんな年でしたか?と聞かれたら、なんて答えるかな。

この世界に生まれ落ちてからはや23年。
とてもとても激動の年だった。
社会人になって自分のお金で生活するようになり、アースデイの実行委員長になり、4年間お付き合いして一緒に暮らしていたひととお別れして、それはそれはもう、色濃い1年だった。

 

つらいこととたのしいことだと、どうしてもつらいことの印象の方がつよい1年ではあったけれど、

それでも全部ひっくるめて抱きしめたいなと思える年の瀬ではある。かなしいに支配はされてない。

 

本当に本当にいろんなことがあったけれど、でもやっぱり今年もいい年だったね、って言いたいから。 

 

だから、わたしは今日も生きているし、ごはんをたべるし、お風呂にはいるし、おっさんずラブを見るし、よくねむる。

 

「人に生かされている」ということを、本当に肌で感じた1年だった。
わたしが今も笑っていられるのは、つらい時に会いにきてくれたあなたのおかげだし、電話をかけてくれたあなたのおかげだし、着地点のない話を聴いてくれたあなたのおかげだし、4年間誰よりも近くで支えてくれていたあなたのおかげ。 

だから、本当にすべての人にありがとうって言いたい。
今これを読んでくれているあなたのおかげで、わたしはこの1年も生き延びました。

 

感謝が溢れ出る年末でよかった。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

また会いにくるね。

 

「またくるね、じいちゃん」
この言葉を言うのは何度目だろうか。
その度にじいちゃんが涙を流すようになったのは、いつからだろうか。


———


父方のおじいちゃんが体調を崩して手術と入院を繰り返している。
じいちゃんはすごく元気で、教師を定年まで続けたあと、朝から晩まで畑仕事と花の世話と孫の世話をして過ごしている人だった

そんな誰よりも元気だったじいちゃんが、今は何をするにも誰かの手を借りなければならなくなっている。


いちばん最初に自由に動けなくなったじいちゃんを見たのは、大学三回生の夏休みだった。そのときは身体は動かしにくかったけど喋るのはいままで通りだった。


でも、社会人になってからすぐ、もうひょっとしたら危ないかもというところまできて、妹から会える時に来た方がいいかもとラインが入った。


今は少し大きな手術をして、以前よりは元気というか、食事も口からとれるようになった。

病院に会いに行って、じいちゃんの手を握って、字を書く練習をして、ごはんを食べて、またくるねと言って、大阪に戻る。

病室の空気は、とても独特だ。
いつもなんとも言えない気持ちになる。


地元ではなく、大阪ではたらくと選択したのは紛れもなくわたしで、自分の意思で決めたこと。

でも、母の話を聞いたりすると、今わたしの家族が直面している問題に、わたしだけが直接的に関われていないのではと、いつも喉の奥がギュッとなる。
「こんな時に楓もおったらなぁっておもうんよ。でも大阪でがんばってるもんね」と、ほんとはわたしにも三重にいてほしいけどがんばる娘を応援したい母が昨日ぽろっとこぼした言葉に、申し訳なさと有り難さといろんな気持ちでぐちゃぐちゃになった。


わたしは今、自分が元気に生きていくことで正直精一杯で、自分のしんどさを、なんとかかんとか噛み砕いて生きていくことに必死になっている。


余談
じいちゃんがいちばん危なかった時に、いちばん好きだった人とお別れした。当時はもう自分でもどうやって生きていたのかわからない。でも、わたしの力じゃなくて、周りの人に生かされていたという感覚は強く残ってる。もちろんそれはその時だけじゃなくて今も昔もこれからもなんだけど。


わたしはずっと、その人といるからみんなわたしにも優しくしてくれていると心のどこかでずっと思っていて、でもわたしがひとりになっても、みんな変わらず優しくわたしのことを大切にしてくれている。そのことが本当に肌にしみていて、本当に本当に、周りの環境には感謝しかない。


そんな話をしたら、「あなたのその、他人に愛されるということのコンプレックスみたいなものは、どこからきてるんだろうね」と言われたことがある。
それを考えてみると、わたしはやっぱり家族に戻る。
わたしは家族に愛されていると自覚しているし、実際にもそうだと思う。
でも、わたしよりも、妹の方が可愛がられているんじゃないかとも、思っている。
わたし(素直)と妹(素直じゃない)が同じことをしたら、親の喜び度というか、なんか感覚が違う気がする。わたしよりも、妹がすることに対しての方が、親が喜んでいる感じがする。これも思い込みなのかもしれないけれど。

だからわたしは、愛されるという感覚に対してはもしかしたらそんなに不自由じゃないかもしれないけれど、「わたしというひとりの人間が愛される」とか、「誰よりも愛される」ということに関しては、とっても敏感なのかもしれないと感じている。
だから定期的に愛を伝えてもらわないと不安になってしまう。前は(いちばん)わたしのこと好きだったかもしれないけど、じゃあ今は?となってしまう。どちゃくそめんどくさいげきおも女やんけ…と書きながら自分に引いてる。

余談ここまで


かといってわたしが今自分のことで精一杯で情けないとくるしくなるのは、それこそ自分勝手なことなのではないかと思う。

自分で決めたと思っていた道も、実は周りの環境があったから決めることができた道なんだなとひしひしと感じる。


覚悟を持つこと、腹をくくること。
それが強くなるということ。


スーーーーーーー、ハーーーーーーーと深呼吸をして。


また会いにいくよ、じいちゃん。

「君に会えて、よかった。」#おっさんずラブ



最近のわたしを語る上でぜったいに外せない要素、それが#おっさんずラブ

愛があふれてトマラナイので言葉にすることにしました。

この時に思ったことを書いているのでまた今後も更新していくと思います。

ほんとうにわたしの頭がどうにかなっているのできもちがわるいです。

男同士の恋愛だからといって変に面白おかしくせず、真剣なラブストーリーを描いたおっさんずラブがほんとうにとってもとってもだいすきです。

 

 

 

 

 

 

・圧倒的に運命の出会いをしたはるまき ふたりの出会いは偶然であり必然です ありがとうございました

 

・はるたほんと愛の人、たなかけもほんと愛の人。

・酔ってちずに送ってもらった春田のんまぁ〜〜〜きぃ〜〜〜〜がもうすき

・プレーゼントー!て営業虎の巻わたすところほんと恋に落ちるシーンすぎ

・「おれは、お人好しとか、いい人じゃないぃ〜〜、」て号泣するのほんとはるた

・3話で牧の背広ぱたぱたするのかっわいすぎて声出た

・5話の帽子かぶせるシーン(アドリブ)とか、ラストシーンの「んなわけねーだろっつの」がどちゃイケメンすぎてし

・5話みたいなふたりのデートシーンを一生見ていたい、、、

・「春田もすきなの?」「おれは、、まぁ、、うん。」もうむり。そんな優しいかおする?

・わたしも仕事帰りわんだほうにふらっと飲みにいきた〜〜〜い

 

・全7話と劇場版通してずっと牧凌太の顔がいい

・圧倒的にチワワ案件

・黒スーツ似合いすぎてしんどいです

・「はっきり言わないことは、優しさでもなんでもないですよ」が今までいろんな思いしてきたんかなぁと思わずにはおられん

・基本的にハイスペやのにすぐ溜め込むし家出しちゃうよね…俺のことなんか好きになるわけないって自己肯定感どちゃどちゃに低いまきりょ…

・「おれは、春田さんのことなんか好きじゃない」ほど好きが溢れている告白をわたしはこれまで見たことがない

・基本的にはるたに敬語なのにたまにタメ語(しかも口悪い)になるの好きすぎる

・大学生のモラトリアム牧さいっこ〜〜〜〜にかわいいで〜〜〜〜す

 

・部長かわいいなぁってほんまナチュラルに思わせる吉田鋼太郎ハンパないな

・蝶子のこともすっごい大切なんやろうなぁと思わせるそこがまたせつない

・はるたから振られる時の「わーーーーーー聞こえない聞こえない聞こえない!!!!!」がめっちゃすき、その後の「聞こえちゃった、、、」くるしい

 

・マサムネだいすき……ぜったいのぜったいにしあわせになって………

・「俺が、アイツじゃないと駄目なんだよ!俺がアイツがいないと駄目なの!お願いします!お願いします!!」~~~~~~~!!!(言葉にならない叫び)

・「相手の幸せのためなら身を引いてもいいとか、どっかのラブソングかよ」がすきすぎてそこ見るたびにキャーてなる

 

・結婚30周年をステキなお店でお祝いして花束もらった結構すぐあとに離婚してくださいって言われるの本当の本当にナニコレ 蝶子つよい女すぎる

・アゼリアでの一幕はそりゃもう発狂するわ案件でしかない

・「わたしのこと嫌いになっちゃったの?」がもう全力で蝶子〜〜〜…!てなる

・蝶子が振り返った時に春田に抱きついたまま目逸らす部長とその後の蝶子の反応がリアルすぎて心臓キュッてなった

・「ここでいい、わたし行くね。」がかっこよすぎる。覚悟。

・わたしもマロに出会いたい

・「好きすぎてやばいから結婚するんすよね?」のマロが最の高 君はずっとそのままでいてくれ

・プレゼントのネックレスそのまま無造作にわたすのなに?照れ屋さんか?マロはほんとどんどん可愛くなっていくな

 

マイマイいいキャラしてすぎ

・「猿芝居、終わった?」

・最後てっぺー兄にめちゃくちゃお金落とすのすき 推しに貢いでいくスタイル

 

田中圭は「春田と牧」て呼んで林遣都は「牧と春田さん」って呼ぶのすきすきのすき

・高校の時付き合ってた彼女を走って探し回ったことあるたなかけサイコー

林遣都ほんと憑依型すぎてまきりょ演じてる時に部長に「もうほんと暴言吐きそうになる…」てなってるのぎゅん

・2話の副音声で「(3話は)2話より面白いです、まだ3話見てないけど」てコメントする林遣都すき

 

・想いが通じあったふたりがその先に求め合うのは当然と考えてあのラストシーンを演じた田中圭林遣都がほんとうに尊いオブ尊い

 

 

ハ〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ため息) 

これでもほんの一部なの愛が重い。(最終更新日:2019/10/25)

おラブに会えてよかった〜〜!!

さいきんのわたし。

 

 

みなさんこんにちは。

夏も終わりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

社会人になって半年、最近のわたしについてつらつらと書いていきます。

 

さて、知っている人は知っているかと思いますが、社会人になってから3か月目で世紀の大失恋をかましました。

23年間生きてきていちばん価値観がゆさぶられた出来事だったんじゃないかなぁと思いつつ、今はこうやって書けるまでになりましたみなさんほんとありがとうございます、、、

今まったくしんどくないかというと全然そうじゃないけど、ぎりぎりのところにもいないので、まぁしばらくそれなりに生きていこうかなぁという感じです。

 

おしごとも楽しいです。

ひたむきにがんばっていれば誰かが見てくれている環境です。

今は神戸に週3、奈良に週2という非常に珍しい勤務体系ですが、また来年はどうなるやら、、、わたしも自分の考えを持ってないといけないなと感じています。

最近は雨女と三重と失恋でいじられており、完全にキャラの渋滞が起こっています。愛がある

 

そして圧倒的におっさんずラブに沼っています。

社会人になったのをいいことにお金を落としまくっています。

人生で初めて同じ映画を3回みました、、、尊い、、、

ペアマグカップも買っちまったぜ!なんてこった!

Season2がどうなるのか気になりすぎて夢に出ました。

 

わたし高校の時はジャニーズが好きで、大学の時は彼氏最推しで、今はおっさんずラブにドはまりしています。わたしの彼氏になるともれなく世界で一番わたしに推されますがどなたかいかがでしょうか?(?)

 

おっさんずラブの影響で田中圭さんと林遣都さんをゆるく追っかけています。

ふたりともわんこみたいでかわいい、、、柴犬とチワワ、、、

 

あとはハッピーアースデイ大阪の実行委員長なるものをさせていただいています。

自分でもドン引きするくらい何もできていないので、これからまた頑張っていきたいなと。思っているなどしています。ひとまず11月30日の10周年ぱーちーを成功させるぞ!!

 

ふふふんがんばろ。

 

LOVE or DEAD?

 

 

いや、、、、、、あの、、、、、ほんとに、、、、、、

ほんとに、、、待ってむり以外の感情が、、、、、ない、、、、、、

 

劇場版おっさんずラブみてきました。圧倒的愛の物語でした。

 

 

詳細には書いてないけどねたばれある。何よりわたしの感情という感情が爆発していてほんとうにきもちがわるいです↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・最初のあらすじ「おれは、春田さんのことなんか好きじゃない」という世界でいちばん好きが溢れ出ている告白にまた心臓キュッてなった 牧が泣くとわたしも泣く

forever loveの指輪買っちゃう春田かわいい

・まーきー!まきまきまきまきまーきー!春田が牧のことだいすきすぎて死

・春田ほんと終始牧のことしか見えてない

・ちょっと喧嘩ぽい感じやったのに春田の分のごはんも一緒につくってる牧がいとお死

・ネクタイのところな!!!!春田が「おいおいお前ここでは、、」みたいになりつつまんざらでもない顔してるの最の高 きんぴらごぼうわらった 2人が笑いあってる世界ラブ&ピース

・ジャス〜〜!ジャスかわいいよジャス〜!!!最初春田と牧の関係かき乱すなよ?!?!(春牧のモンペ)とか思ってごめんな、、

・ちずちゃん幸せになってくれ

・サウナシーン最高すぎてここ見るためだけにあと5回は映画館に通えます(まがお)

・「えっもしかして君の恋人って、、、この人??」みたいな修羅場だいすき人間なのでサウナシーンほとんど悶えてた

・「はるぽんの好きな焼肉はハラミ〜」で牧がいやいやちがうみたいな感じで首振ってたのがギュンッッてなった 春田の好きな肉を知っているのは牧だけですしおすし

・ハイハイハイハイ夏祭りね??

・「牧ってベビーカステラみたいな顔してるよな」←こんなに愛しかないセリフこの世にある?????いや、ない。(反語)若干アドリブ感あった。死。

・「もういいよ、別れようぜ」お前!!!!!めちゃめちゃ牧のこと好きやのに!!!それだけは!!!!言うたらあかん!!!!!と心の中で春田にブチ切れました

・ちょ、蝶子〜〜!!!そうだよねあんな思い二度としたくないよねぇぇぇと僭越ながら鬼の共感をかまし

・マロ、、、蝶子をたのむ、、、「二人まとめて幸せにします!」が意味わからんすぎて愛やった

・春田が閉じ込められた時一目散に駆け出す牧愛おしすぎてやばい

・人工呼吸のくだりめちゃめちゃわらった 部長の煩悩

・「死んでも牧といっしょがいい」愛が爆発しました

forever loveはいつ牧の手に渡っていたのだろうか問題について語り明かしたい

・最後絶妙なタイミングでしにました。もうむり。尊。ご結婚おめでとうございます。

・まきはる?はるまき?とドラマの時はなってたけど今回の映画はもう圧倒的にはるまき。くるしい。

 

 

 

いやもう、ほんと、圧倒的、むり。(それしか言うてない)2回目見に行ってしまいそう。キャストほんとみんなすき。これは愛の物語です。(2回目)

 

OLに幸あれ〜〜〜〜〜〜〜!!!!

これもまた、たぶん

 

 

“運命”ってなんだ。

最近の考え事のひとつ。

 

「運命は自分で切り開くもの」であったり、

「あるがままの運命を受け入れることが必要」で、あったり。

 

わたしは何か嫌なことであったり恥ずかしいことがあったりすると結構ずるずる引きずってしまうタイプだと思うけれど、でも最近は「まぁこれはたぶんこういうものやったんやろな」と考えることが増えて、昔に比べて随分と楽になった気がする。

 

運命は自分次第だとも思うし、でも自分の力ではもう想像もできないような大きなところで決められているようなものであるような気もするし、矛盾していて答えの見つからない問いを考えるのはなんであれ面白い。

 

『わたしという運命について』

 

古本屋で出会った本。

ほんとなんとなしに目について、通勤時間でちまちま読み進めて、最近読み終わった。

 

ぼんやり考えていたことが、もっと高次元で言語化されていたように感じた。今の私には必要な本だったように思う。

 

今のわたしにとって運命とは、もうあらがうことのできないところで渦巻いているものであって、それが変えられるともあまり思ってなくて、でも、自分の意志で変えられないともあんまり思ってない。そんなぼんやりして分かりにくい感じ。

 

でも、毎日自分のまわりで起こることを「これは自分の運命だから」と無気力に受け入れ続けるのも、すこし違う気がしてる。いやわからん、語弊があるかも。

もっとなんかこう、多分心の底にはだれしも何かの炎があって、やっぱり自分の意志みたいなものはあるはずで。人間として生まれてきた時から今まで生きているということは、どんな状況であったとしても多分その炎は完全に消えてはいなくて。

 

自分が想像できない大きな世界に揺さぶられているとしても、自分の中の意志を、持って生きていくことは大切なんでなかろうかとおもってる。

 

頭の中にあることをただ書き連ねただけなのでそんなに深い意味はないけど、まぁ人生まいにち本当にいろいろあるけどなんやかんやハッピーに生きていけたらいいよねぇというあんまり中身のない話でした。ちゃんちゃん。

 

ヘルプを出す、ということ。



わたしには、

 

「あ、ここから一歩でも落ちたら、なんかちょっとやばいかも」

 

というラインが自分の中にあって、どれだけ悲しみの渦の中にいてもどれだけどれだけしんどくても、そこだけは踏み越すことはなかった。

 

それはどうしてかというと、年に1度か2年に1度くらいあるその踏み越しそうサインに、わたしは無意識的に気が付いていて、次に気が付いたときには誰かにヘルプを出している、たすけてくださいと、だれかに、手を伸ばしている。

 

そういう時不思議とタイミングが合って、わたしがヘルプを出した誰かはすぐにわたしを助けてくれる。これは本当に不思議なことで、人は合うべきタイミングで誰かと会うものなのだと思い知らさせる。

 

そうやって何度も何度も色んな人たちに助けられてきたから、今わたしはここに存在しているのだと思う。

自分の中のやばいラインを越えずに、なんとかブレーキをかけてもらって生きてきている。

 

自分がどうしようもない時、他の誰かにヘルプを出せるということはもしかしたらとても重要なことなのかもしれない。

そしてわたしはきっとこれからもそうやって生きていくのだと思う。

 

つらいことはつらいのままでおいていてよくて、わたしは自分のやれることはちゃんとやっていて、それでもどうしようもない感情はあって、だから、時間をかけていくしかないんだな、と思えた。これは自分だけじゃ確信が持てなかったことで、ヘルプを出して、助けてくれたから思えたこと。「あなたは自分の無意識がちゃんと見える人だから、」と言ってくれたのも、もしかしたらこのことだったのかもしれないな、なんて思う休日。